インプラント治療によって噛む機能が再建されるということは、とりわけ高齢者にとっては「ボケ防止」という、もう一つのうれしい効果をもたらします。
顎の骨や顎の関節、口を開閉する筋肉には多くの脳神経が分布しており、絶えず脳との間で情報のやり取りをしています。しかし、いったん歯を失い、噛む機能が損なわれると、脳への情報が激減し、脳の中枢神経細胞も退化してしまいます。そうなると学習能力や記憶の保持能力にも大きな影響をおよぼし、ひいては老人性認知症の原因にもつながると考えられています。実際に同年齢の人を比較すると、歯をたくさん失っている人は、歯が健全な人に比べて認知症が多いといわれています。
本書の監修をしている伊藤をはじめとする名古屋大学グループの研究では、ねずみの歯を抜いて柔らかい食事を与えておくと、明らかに学習能力や記憶力が減退し、生化学的にも脳内の重要な神経伝達物質であるアセチルコリンが著明に減少するという、有名な報告があります。 したがって何らかの原因で歯を失った場合は、早急にJむ機能を再建することが重要です。失った歯は入れ歯やブリッジで回復できますが、多くの方々が不満を訴えることからもわかるように、その機能再建は必ずしも十分ではありません。とりわけ総入れ歯は非常に難しい治療法で熟練を要する治療法でもあります。健康であれば一本の奥歯で60sから80sでJみしめることができます。ところが総入れ歯の場合、名人と呼ばれる歯科医師が作った入れ歯でさえ10s以上の力でJみしめることができれば大成功で、硬い食べ物の食感を味わうレベルに達することは、よほど顎の状態が良くなければ至難の業です。
一般には無理に力を入れてJめば、歯肉に痛みを感じ、不快感が募るどころか、歯肉に深い傷をつくってしまい、そのような慢性の刺激を常に与えることは癌化の危険性すらあるのです。 他方、噛めなくなると唾液の分泌量が減少して、口の中が乾きます。これは河童の皿が干上がるのと同じで口の中の粘膜がひび割れてきます。味がだんだんわからなくなり、苦い味だけが口腔内に残ることになります。これは実際に経験された方ならおわかりになると思いますが、とても不快な症状です。いつも水筒を持って口を濡らしていないと、会話さえ困難です。
味覚の異常によって料理を作ることもままならなくなります。さらに口腔内に灼熱感を感じるようになり、これはバーニングマウスシンドロームと呼ばれています。そして、唾液の中にはアミラーゼをはじめとする各種消化酵素、ホルモン、神経成長因子などが含まれているため、唾液分泌量が減ることで、全身にさまざまな悪影響が及びます。また唾液といっしょに分泌される唾液腺ホルモン、パロチンは「若返りのホルモン」とも呼ばれていますが、唾液が少なければ当然パロチンも不足し、髪が抜けたり、関節が変形するなど、老化現象が加速することにもなりかねません。そういったことを考えると、インプラント治療で歯を再建するということは、噛む機能を天然歯と同レベルまで回復できるのですから、ただ単に噛めることの快適性だけでなく、ボケをはじめとする老化現象を防ぐ意味で重要な意味があるといえるのです。